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東京地方裁判所 昭和40年(ワ)1761号 判決

原告 永山登美

右訴訟代理人弁護士 橋本三郎

被告 徳島康史

右訴訟代理人弁護士 河本喜与之

同右 木下良平

主文

一、被告は原告に対し、金一八〇万円およびこれに対する昭和三二年三月一日から支払済まで年五分の金銭を支払わなければならない。

二、訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第一、当事者の求める裁判

一、原告(請求の趣旨)

主文と同旨の判決ならびに仮執行宣言。

二、被告

原告の請求を棄却する

訴訟費用は原告の負担とする

との判決。

第二、当事者の主張

一、原告(請求原因)

(一)、昭和三二年二月初旬原告は被告との間で原告所有の別紙第一物件目録記載の(三)、(六)、(七)の各不動産を被告に対して代金一八〇万円で売り渡す旨の契約をした(証拠表示省略。以下同じ)。

(二)、その後同月二八日、原・被告合意の上で、右契約の目的物件を別紙第三物件目録記載の原野とすることに変更し、同年三月一日被告のためにその所有権移転登記手続を経由した。

(三)、よって原告は被告に対して、右売買代金一八〇万円およびこれに対する右契約後である昭和三二年三月一日から支払済まで民事法定利率たる年五分の遅延損害金の支払を求める。

二、被告(答弁)

(一)、請求原因(一)、(二)項の事実は否認する。もっとも、原・被告間で原告主張の各契約がなされた旨の書面が存在するが、真実は原告と訴外古賀貞芳との間で契約が締結されたのであって、古賀は、原告の同意を得て税務対策上単に買主名義のみを被告にしたに過ぎないから、右契約上の責任を負担しない。

しかも古賀は右売買代金を原告に対して既に支払済である。

(二)、すなわち、古賀は昭和三一年五月九日原告から、原告が故有島健助の遺産相続人の一人として遺産分配を受けるべき別紙第一、第二各物件目録記載の各不動産その他の財産を代金七〇〇万円で譲り受け、同年七月二〇日までに内金五二〇万円を支払い、残金一八〇万円は当時東京高等裁判所に係属中の右遺産分配に関する原告とその弟訴外有島成夫との間の訴訟が解決した上で支払うことになっていた、ところで古賀は右各不動産に対する自己の所有権を主張して同年一〇月八日右訴訟に当事者参加の申出をしたが、その後三者間に和解が成立し、有島が別紙第二物件目録記載の土地を訴外電信電話公社に売却してその代金のうち金一、四〇〇万円を原告および参加人に支払い、古賀はそのうち金一、〇〇〇万円を受け取ることとして、前記参加申出を取り下げた。その際当時の原告代理人伊能幹一弁護士の意見に基き、別紙第一物件目録記載の(三)、(六)、(七)の各不動産だけは古賀の所有に帰属することを明らかにしておくため、前記譲受代金の残額一八〇万円を代金額とし、これをもって売買したこととする旨の売買契約書を作成し、その後右目的物件は第三物件目録記載の原野に変更されたのである、従って、右契約における実際の買主は古賀であるが税務対策上、甥である被告の名義を借りたものに過ぎない。

しかして古賀から原告に支払うべき右金一八〇万円は、原告が古賀と共に設立した訴外永福興業株式会社の原告の引受けるべき株式の払込金にこれを充当する旨の原告との合意に従い、古賀から右会社に払込んだから、古賀としては既に支払済の筋合である。

のみならず、原告はその後古賀から昭和三二年三月六日までに右金一八〇万円の支払をうけて右出資金をとりもどしたのであるから、原告と古賀との間の債権債務関係は一切清算されたわけである。

(三)、原告はさきに昭和三六年五月一日被告を相手方として中野簡易裁判所に対し、別紙第三物件目録記載の原野に関する被告の所有権取得登記の抹消登記手続請求訴訟を提起し、これは同庁同年(ハ)第一三二号事件として係属した。右訴訟の経過において、原告ははじめ被告に本件物件を売渡した事実はないと主張したが、後に請求原因を変更して原告は被告に対して右物件を貸金一八〇万円で売却したが、被告はその代金を支払わないので、売買契約を解除したと主張した。しかるに、判決の結果、原告の右主張は認められず、売買は原告と古賀との間で行われ、古賀が形式上の買主名義のみを被告としたものであること、売買代金は支払済みであること、原告と被告との間には何らの債権債務の関係はないと認定され、原告主張の売買契約解除の主張は認められず、原告の請求は棄却された。

それにも拘わらず原告は再び右の売買代金は未払であるとして本訴を提起した。

前記のとおり前訴は売買代金不払を理由とする契約解除に基く原状回復請求(登記抹消登記手続請求)であって、売買代金が支払済であるか否かは主要な争点として当事者が主張立証を尽し、裁判所もその点について実質的に審理をしたのである。このような場合にはいわゆる争点効の法理により前訴判決の理由中の判断であっても後訴たる本訴の審理を排斥し、右前訴判決の判断に拘束されるものと解すべきである。

三、被告の主張に対する原告の反駁

(一)、原告が古賀に対して請求原因(一)、(二)項記載の不動産を売り渡した事実はないし、同人からその代金の支払を受けた事実もない。同人に対しては売買の斡旋を依頼したのみである。

もっとも、原告は昭和三一年五月九日から同年七月二〇日までの間に古賀から合計金五二〇万円を借用し、同日頃同人に対してその旨の領収証を交付するとともに、右債務の担保として被告主張の(三)記載の各不動産をいわゆる譲渡担保に供するため、昭和三一年五月九日付の譲渡契約書を作成したことはある。しかし同年一一月一七日原告と古賀との間で、原告は被告主張の和解により原告が有島から受け取るべき金銭のうちから従前の借受金五二〇万円、これに対する利息として金三〇〇万円、近く古賀を代表者として設立される予定の永福興業株式会社に対する株式払込金として金八〇万円、古賀に対する貸金として金一〇〇万円以上合計金一、〇〇〇万円を支払うこととし、原告がこれを履行したときは原告と古賀との間の右譲渡契約は無効とすることを約した。そして右約束に従い、原告は昭和三二年二月一〇日頃有島から金一、二〇〇万円を受領すると共に右金一、〇〇〇万円を古賀に支払ったので、原告と古賀との間の前記譲渡契約は効力が消滅した。なおその後原告は昭和三二年三月六日頃古賀から前記貸金一〇〇万円の返済を受け、また訴外永福興業株式会社が当時設立に至らなかった(設立されたのは昭和三四年七月一七日に至ってからである)ので、同年四月一三日前記株式払込金八〇万円の返還を受けたことはある。

(二)、被告主張の争点効は認めるべきでない。

第三、証拠≪省略≫

理由

一、≪証拠省略≫によると次の事実が認められる。

昭和三一年五月九日、原告と訴外古賀貞芳との間で、原告は、故有島健助の遺産中、その家督相続人たる訴外有島成夫(原告の弟)から原告において昭和二三年五月二三日贈与を受けたとする別紙第一および第二物件目録記載の各不動産を含む一切の不動産を代金七〇〇万円で古賀に譲渡する旨の契約をした。古賀は同日から同年七月二二日までの間に前後一一回にわたり右譲受代金として、合計金五二〇万円を原告に交付した。そのころ右各不動産につき、原告が前記有島成夫を相手に提起し、第一審では原告勝訴の後、有島の控訴によって東京高等裁判所に同庁昭和二八年(ネ)第二、〇九七号不動産所有権移転登記手続請求控訴事件が係属していたので、残金一八〇万円は右訴訟事件が解決した後に支払われる約束になっていた。同年一〇月八日古賀は右各不動産の所有権を譲り受けたことを主張して右原告と有島との間の訴訟に民事訴訟法七三条、七一条に基く当事者参加の申出をした。その後右三者間で示談が進み、昭和三二年二月七日、原告は前記訴を、古賀は右参加申出をいずれも取下げ、かつ原告が第一審の勝訴判決にもとずき、前記各不動産について権利保全のための仮処分によってした仮登記および古賀に対する権利移転に伴うその附記登記の各抹消登記手続をすること、有島はその所有名義の第二物件目録記載の宅地三、六四二坪四合六勺を訴外日本電信電話公社に売却し、その売却代金中から金一、四三四万余円を原告に対して贈与による分配金として支払うこと、有島はその所有の別紙第三物件目録記載の原野を原告に無償譲渡すること等の約束を含む示談が成立した。これよりさき、右示談のためには原告と古賀との間で同年五月九日になされた別紙第一および第二物件目録記載等の各不動産の譲渡契約が解消されなければならなかった関係上、原告と古賀との間の話合で、古賀は、右示談によって原告が有島から受け取るべき金銭のうち金一、〇〇〇万円の支払を受けることと、別紙第一物件目録記載の(三)、(六)、(七)の各不動産を古賀の所有として確保すること(但し、示談の結果如何により目的物件が変更されることは了承する)を原告に要求し、原告もこれを承諾した。ところで、原告と古賀との間で、作成された同年一一月一七日付契約書には、原告が古賀に右金一、〇〇〇万円を支払えば、前記譲渡契約は効力を失うものとする旨の記載がなされており、これでは別紙第一物件目録記載の(三)、(六)、(七)の各不動産の所有権を確保したいという古賀の要求が満たされないこととなるし、一方原告が古賀の要求を受け容れるにしても、これは古賀から前記五月九日付譲渡契約による譲渡代金七〇〇万円の支払が完済されていることを前提とするのに、そのうち金一八〇万円は未払のままであったから、昭和三二年二月初めのころ、当時の原告代理人伊能幹一弁護士の助言で、前記甲第四号証の契約書の記載を補い、右各不動産に関する古賀の要求を満たすため、原、被告間で、右甲第四号証以前に日付を遡らせ昭和三一年八月二日付をもって原告が右各不動産を代金一八〇万円で被告に売り渡す旨の本件売買契約を結んだ。この契約の実質上の買主は古賀であるが、同人の都合により、同人に代わってその甥である被告が形式上買主となったものであり、原告もこれに同意した。同年二月一〇日原告は有島の指示により前記示談の履行として訴外住友信託銀行から金一、二〇〇万円を受領し、そのうち金一、〇〇〇万円を古賀に交付した。同月二八日原、被告間で前記乙第五号証の一の売買契約の目的物件を、原告が前記示談により有島から無償譲渡を受けた別紙第三物件目録記載の原野に変更する旨の合意をし、右原野につき長野地方法務局軽井沢出張所同年三月一日受付第三一五号をもって有島成夫から原告への、また同日受付第三一六号をもって原告から被告への各所有権移転登記を経由した。

原告の第一回本人尋問の結果中以上の認定に反する部分は採用せず、他にこの認定を覆えすに足りる証拠はない。

二、被告は、本件売買契約における真実の買主は古賀であり、被告は単に名義を貸したのみに過ぎないから契約上の責任を負担しないと主張する。なるほど本件売買契約における実質上の買主が古賀であることは前記認定のとおりであるが、法律形式上被告が買主となった以上、被告もその契約上の責任を免れないものといわねばならず、被告の右主張は採用できない。

三、つぎに被告は、本件売買代金一八〇万円は実質上の買主たる古賀において既に支払いずみであると主張するので考えてみる。

(1)  右主張に副う証拠として、先ず、前記乙第五号証の一には同書面作成当日代金の授受を了した旨の記載があるが、これが事実に反することは≪証拠省略≫によって明らかである。もっともなぜこのような記載がされたものであるかその理由は詳らかでない。

(2)  また、≪証拠省略≫はいずれも、前記昭和三一年二月一〇日古賀が原告より、金一、〇〇〇万円の交付を受けた際、古賀はそのうちから金一八〇万円を右代金として逆に原告に支払うべきところ、近く古賀を代表者として設立の予定されていた訴外永福興業株式会社につき原告が引受けるべき株式の払込金(以下単に出資金という)にこれを充当することとしてその授受を省略したが、これによって前記売買代金は決済されたものであると証言し、前記乙第七号証にも同趣旨の供述記載がみられるところ、これら証言等は、原告が、右金一、〇〇〇万円以外に永福興業に対する出資金として金一八〇万円を古賀に交付する約束であったことを前提とするものにほかならない。

しかしながら前記甲第四号証の記載によれば、原告から古賀に交付すべき金一、〇〇〇万円の内訳は、別紙第一、第二物件目録記載等の不動産の前記昭和三一年五月九日付譲渡契約にもとずき古賀が既に支払った代金の返済として金五二〇万円、右契約解消に伴う古賀の損失補償として金三〇〇万円、前記永福興業株式会社に対する原告の出資金および古賀に対する貸金として合計金一八〇万円である旨、昭和三一年一一月一七日に原告と古賀との間で確認されており、この点の合意が後に変更された事情は認められない。古賀証人は、甲第四号証の書面は有島側の要請にもとずき、同人が別紙第三物件目録記載の土地の売渡先である電信電話公社に対して古賀の同土地に対する権利の消滅を明らかにする便宜上、後日金銭の支払を受ければ直ちに焼毀する約束の下に、必ずしも事実に副わない記載をして作成したものであるという趣旨の証言をするが、同書面中少なくとも、五月九日付譲渡契約の失効を記載した部分については、前記のとおりその解釈に関し後日予想される紛争を慮って伊能弁護士の助言により、改めて乙第五号証の一の書面を作成するなどの措置をとっている点からして、甲第四号証の書面には、同書面を後日焼毀する約束の下に事実に副わない記載がされているとする右証言は直ちに採用できないし、かりにそうであったとしても右金一、〇〇〇万円の内訳につき特に事実と異なる記載をしたという事情は見当らないから前記古賀証言があるからといって甲第四号証の記載を排斥する理由にはならない。

そうすると原告から古賀に交付された前記金一、〇〇〇万円の中には金一八〇万円の出資金ないし貸金を含んでいたものというほかないから、前記伊能、古賀両証人等のいうところによっては、原告が支払を受けるべき売買代金は決済されたことにならない。けだし、右の認定によれば、同証人等が互いに授受を省略したという一方の原告から古賀に対する出資金ないし貸金の交付は現実になされたことになるからである。

この結論は、当時原告代理人として事件に関与した伊能証人および実質上の当事者であった古賀証人の一致した認識と異なるわけであるが、前記甲第四号証の記載を無視し得ず、かつ前記認定のほか、他に特段の事情が認められない以上、計算上必然のものとして肯定せざるを得ず、これらの証人からは他に納得のゆく説明が得られないので、その認識はなんらかの誤解にもとずくものと解するほかなく、前記証言をそのまま採用できない。

(3)  ≪証拠省略≫によれば、原告はその後二回に亘って前記出資金ないし貸金一八〇万円の返還を受けたので、昭和三二年三月六日に伊能弁護士の助言に従い、古賀に対し同人との間で今後なんらの債権債務の関係のないことを相互に確認する旨の覚書を交付したことが認められるが、これも前段で説明したとおりの次第で誤解にもとずくものと解せざるを得ないから、これをもってただちに前記売買代金が支払いずみであることを認定する証拠にはできない。

(4)  その他右代金支払の事実を認めるに足りる証拠はない。

四、ところで被告は、右売買代金が支払済であることは、原告から被告に対し、別紙第三物件目録記載の原野について被告のためになされた前記所有権移転登記の抹消登記手続を求めて提起された中野簡易裁判所昭和三六年(ハ)第一三二号事件において、既に同裁判所の判断を経て確定したものであり、右判断は理由中のそれではあるが、いわゆる争点効により、後訴たる本訴においてはもはやこれに反する判断をなし得ないと主張する。

なるほど、一部の学説および裁判例はいわゆる争点効を認めるべきことを主張し、この議論には傾聴に価するものを含み、一概にこれを排斥することはできないが、他方そのいわゆる争点効を肯定すべき場合の明確な一般的要件が定立されていない現在、右議論が未だ熟さざるものであることを否めないから、当裁判所は今ただちにこれに左袒することには躊躇を感ぜざるを得ない。被告の前記主張は当裁判所と異なる見解を前提とするものであるから採用できない。

五、よって被告は原告に対し、前記売買代金として、金一八〇万円およびこれに対する契約締結後である昭和三二年三月一日から支払済まで民事法定利率たる年五分の遅延損害金の支払義務あるといわざるを得ないから、その支払を求める原告の本訴請求は理由があるものとしてこれを認容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用し、仮執行宣言は本件の場合相当でないと考えるからこれを付さないこととして主文のとおり判決する。

(裁判官 佐藤安弘)

〈以下省略〉

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